透明な水色

零れ落ちずに零れる。

「我が儘」と水

This is 嵐 LIVE 2020.12.31 

  

(にのみやくんの挨拶と過去に彼が伝えてくれた言葉のことだけ)

(楽曲やパフォーマンスについては別で書けたらいいな)

 

 

 

 

 

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「取り上げられちゃうみたい」

ちょっとびっくりだったけどあまりにもにのみやくんだった。

 

あの日の

「僕たちは、いつまでも、嵐なので」

の言葉を心の真ん中に置いて過ごしてきた2年間。

勝手な想像で続きを描いてしまうけど、にのみやくんもそうだったのかな、とか。

まるで

”ずっと嵐だけど、それでも、(なくなっちゃうみたい)”

だと。

そんな風に聞こえた。

 

大人になると責任と引き換えにある程度の自由を手元に置けるようになる。

にのみやくんはその華奢な背中に責任を背負い続けてきたのに。

こどもの時に遊んでいたおもちゃみたいに。

「取り上げられちゃうみたい」だと、感じるなんて。

払ってきた代償に見合わない無力感に苛まれるなんて。

 

 

 

にのみやくん、全っっっ然、我が儘じゃないよ。

我が儘なんかじゃない。

(でもにのみやくんが「我が儘」だって言うなら、「我が儘」と呼ぼうか。

 そう呼ぶには愛しさに溢れ過ぎているけれど)

 

人の気持ちを汲んで、そこに寄り添って言葉を選んで行動するのが上手すぎるから。

にのみやくん自身の気持ちへの優先順位が低くなってしまっていて。

外に出すとしても茶化してみたり。

だからこそ奥底にある気持ちを洗い流すことへのハードルが高くて。

「我が儘」としてしか自分の想いを口に出来なかった(しなかった)けど。

 

それもにのみやくんなんだよ、4人と過ごして、4人のために言葉を紡いできたにのみやくんなんだ。

 

人の気持ちを汲み取り続けて、自分のそれは溜め続けていたら、

重たくなって、気付かぬうちに沈んでしまう。

枕詞なんて付けなくて大丈夫だと知って、少しでも楽に呼吸をしてほしいと思わなくはないけど。

それでもそうはしないのがにのみやくんなんだ。

 

 

 

そしてこの「我が儘」の中身が

「ツッコミたかった、いじりたかった」

なの、あまりにもいじらしくて。

喋りたい、

一緒にいたい、

じゃないの。

あくまでも「我が儘」として成立させるために。

 

……出来すぎだよ、にのみやくん。

あらゆることに緻密な計算を施していることなんて知ってる。

その緻密さがにのみやくんの魅力の一片であることも知ってる。

 

知ってるけど。

 

 

 

「妙に浸った」

も、そうだったな。

只でさえ高速回転しているにのみやくんの頭のなかに、

想像するのも烏滸がましいほどの様々な感情が渦巻いていただろうに。

 

それらは抱えきれないほどの水を湛えているのに。

それをドライな表現で口にして。

自分で勝手に「浸った」んだと、

それすらも「我が儘」の要素にして。

 

乾く間もない水たちは瞳を縁取っていたけど、

残りはどこに置いていけるんだろう。

 

抱えたままだと重たいよ。

いつかは溺れてしまうよ。

 

 

 

極め付きは

「欲深い人間ですみません」。

 

「ぼーっとしてたら1年経っちゃうもん」

なんて言ってた14歳のにのみやくんが、

23年経って、

止まることのない時間というものの残酷さを目の当たりにして。

その寂しさを「欲深い」と呼ぶなんて。

 

大切な時空間を手離す時、

大切な人と繋いできた手を離す時、

どうしたって躊躇いや戸惑いはあって。

大切なものを大切にしたい

と思う気持ちに濁りなんて一点もない。

 

お願いだから、

「欲深い」と刻まれた磨りガラスで遮らないで。

途方もない純度の美しさを

その磨りガラスで閉じ込めないで。

一緒に閉じ込められたにのみやくんの息が詰まってしまうから。

 

 

 

……なんて、思うけど。

「我が儘」としてであっても

にのみやくんが内に秘めてきた感情(の一欠片)を声に乗せてくれて良かった。

それを本音だと言ってくれたことも。

これが「味方しかいない」嵐のコンサートという空間で叶ったことも含めて。

 

そうしたことがにのみやくんの中でどう作用する(或いはしない)のかなんて

わからないしわからなくていい。

口に出さないことは決して悪いことではない(むしろそういう美学もある)し、

口に出すことがイコール良いことでもない。

 

それでも良かったと思えたんだよね。

良かった。

そこに行き着いた理由は自分でもわからないけど。相応しいと思える理由はもう探さなくていいや。

 

 

 

 

 

切なくて、

 

儚くて、

 

繊細で、

 

透き通っていて、

 

綺麗で、

 

 

 

にのみやくんの言葉には

透明感と温度感が不思議と共存する。

 

どこまでも真っ直ぐで無駄がなくて飾りのない、にのみやくんの想いと。

絶対に誰かを傷付けない、繊細な心遣いが行き届いているからこそ生まれる温もりと。

でもその”誰か”のなかににのみやくんはいなくて。

にのみやくん自身が影になることを厭わないから、

言葉に光を乗せられる。

悲しいけど、切ないけど、それが嘘のないことを示している。

 

 

 

にのみやくんの言葉は

前を向くこと、一歩踏み出すことを必ずしも是としない。

 

前を向くための光をくれて、

顔を上げられるようになるまで待っていてくれる。

気持ちが固められたその時は、

確かに手を差しのべてくれる。時には背中を押してくれる。

 

顔を上げられない時は、

それ自体をマイナスに捉えなくていいんだって教えてくれる。

心を軽くしてくれる。

或いは軽くする方法を教えてくれる。

背負い込んでいたものが軽くなると、自然と顔を上げられていたり。

 

2年前、

「前を向かれすぎると辛い部分もあると思うので。きちんと、目を合わせて」

と伝えてくれたこと、

実際に言葉通りの2年間だったこと、、

どれだけ、

どれだけ糧になったか。

 

 

 

これまでにのみやくんの透明感に魅了され続けてきたけど。

それはにのみやくんの強さに支えられていたんだと。

本当はこんなにも危ういものだったんだと。

 

 

 

にのみやくんの言葉は

水のようで。

 

飲み込むとすーっと心の底の底まで入ってきて。

沁み渡って、落ち着いて、、

これ以上ない力になる。

 

人の気持ちを感じ取って、

こびりついてしまった負の感情すら優しさだけで包み込んで昇華してくれる。

これは間違いなく

にのみやくんの持って生まれた繊細さと、

確かに積み上げられてきた経験値によるもので。

 

無色透明に見えるけど、

光にかざしたらきっと何色にも輝くだろうな。

 

だからこそ、その水を編み上げるうちににのみやくんが溺れてしまわないように。

時に凍らせて、蒸発させて、いっそ溢してしまっても大丈夫だと。

 

 

 

にのみやくん、泣いてね。

 

こみ上げるものに抗って綺麗な笑顔で包み込んだり、

何か特定の感情として名前を付けたりする必要はないから。

溢れ出たものを掻き集めて仕舞う必要もないから。

 

 

 

にのみやくん、笑ってね。

 

嵐としてでない自分が、

心の底から笑顔になれる何かを前にした時、

零れた笑みに絶望する日が

どうか来ませんように。